私達の教会形成
1 キリスト教教会とは何か
ー『大森めぐみ教会80年史』発刊のことば。
わたしたちの捧げる礼拝は、人間の側の営為、すなわち、文化的・知的・技芸的営みに基づくものではなく、イエス・キリストにおいて示された神を讃美し,神の言葉を聴くために召された神の恵みの選びの行為に起源する。
教会の歴史は、神礼拝を遵守し神の言葉に聴従する人々の信仰共同体を形成するキリスト者(クリスチャン)の活動の記録である。わたしたち教会の「使徒言行録」なのである。
この「80年史」はその視点から編纂されている。既刊の50、60、70年史との大きな相違は、一人の執筆者の歴史観に基づく教会史の編纂とせず、大森めぐみ教会100年史の編纂に向けての「第一次資料」の提供に限定するとの方針を教会役員会(執事会)で決定したことである。
大森めぐみ教会の教会員と、将来の教会100年史、200年史などの執筆を志す人々に対して「第一次歴史資料」の提供を目的としている。その内容は、1998.1.1〜2007.12.31の全「週報」と、「総会報告・議案」中の各年度の教務報告の内の「牧師総括報告—評価と展望」とそれに続く「総会記録」と「執事会決議要録」のデジタル化である。
大森めぐみ教会の「教会史」は、大森めぐみ教会を構成する全教会員が、主イエス・キリストから委託されている「教会の歴史上の三重の務め(The historic threefold ministry of the Church)」である「使徒性・apostolate」、「祭司性・priesthood」、「奉仕性・diaconate」を、キリスト者の「日常の教会の生」において真摯に担う事実の叙述である。それ以外のことを、わたしたちキリスト者がどれほど頁を費やして執筆しても、それは執筆者の解釈や理解が全景に表出しているだけのことである。2001年度より、教会内組織は、そのキリスト教教会の「三重の務め」に基づく組織へと改組された(これは教会組織図に反映されている。前掲『80年史』参照)。
もちろん歴史の叙述は、執筆者の「歴史観」を反映するものである。中立的、客観的歴史叙述などは決してあり得ない。それだけに後世の「教会史家」が可能な限り公正かつ客観的史実を知り得る「歴史の第一次資料」を提供する決議を、大森めぐみ教会の主任牧師の提案を受けて、20名の役員(執事)は2007年9月2日の「役員会(執事会)」で決定したのである。
幸い膨大な文書資料を「デジタル化」することを容易とする時代となった。
教会の資料や歴代牧師(司牧者)や役員名や各部各会の構成員の氏名等の掲載や、キリスト教諸活動の内容を文書化し、何十万、何百万の莫大な経費を投じて教会史(や学校史や社史など)を刊行する必要が昨今は激減した。
複数の執筆者の「史観」に、常に益する「教会史」の刊行が、教会においてはなされてよい時代に突入したと、筆者は理解している。本刊行はそのような視点からするひとつの試みなのである。そのことを記し、刊行の辞とする。
2−1 礼拝と伝導する教会
—教会と教会の建造物のインフラとは何か-江戸から明治の歴史とわたしたちの教会—
しかし、基金は零からのスタートであった。これまでは教会に一銭の基金を蓄えず、国内はもとより国の内外の諸教会と福祉事業団体に多額の献金を捧げて来た。その全ては大森めぐみ教会員の神に対する献身のしるしとしての月次献金と記念献金と特別献金である。すなわち、自分の教会の建設と活動にはごく僅か用いて、その大部分を教会外に献金して来た。大会堂は雨漏りを、礼拝堂の下は大雨や台風時には礼拝堂下のホールには金魚やメダカが泳げるような小さい双子池がいつも見られた。礼拝堂の北側の樋は腐食し,見上げると、レースのカーテンのように青空が見えた。それでも三代目の牧師として2000年4月に着任した時は、38年間補修工事すらなされず、国内外の諸教会と諸福祉事業団体に、教会員の献金を捧げ続けた。それは大事なことではある。しかし伝道・宣教の拠点と教会附属幼稚園の教育施設は危険な状態であった。抜本的視座からする教会とキリスト教教育の拠点づくりを必要としていた。地域社会に対する福音の伝達とキリスト教精神と文化の発信は、宗教的要素を人間の日常の生から徹底して払拭しようとしている「世俗主義的生き方」すなわち、「時代精神・Zeitgeist」に批判的に関わる福音書的教会の形成とその強固な拠点造りを、日本の諸教会は今日求められている、といえよう。来年の2009年は、わが国の「プロテスタント宣教150年」と言われながら、「日本の教会の基盤」は、信仰も神学思想も含めて、極めて脆弱なのである。信仰と学問とキリスト教文化の基礎造りは、牧師(司牧者)と教会員の直接の責任であり、そのための実力をつける必要がますます求められている。
100年、300年、500年以上にわたって、その基礎は持ちこたえる、堅固な建造物の建たを今日の教会を構成するキリスト者は目指す必要がある。
幸い、わが国を代表する建築家・阪田誠造先生が、めぐみの丘のグランドでザインを描いて下さり、奉仕的に指導管理に当たられている。感謝のほかない。
第一期は礼拝堂建築の準備に相当する建造物である、と言える。教会堂の擁壁の役割を担う「教育会館」の建築が、第一期工事としてなされたのである。
教会(エクレーシア)は、神礼拝のために、神から呼び集められた者によって形成されている。教会とは、「神の会衆」[カーハール(会衆)・ヤハウエ(神)]なのである。初期キリスト教教会員はその自覚のもとに、宣教(伝道)の歩みを開始したのである。大森めぐみ教会も、まず「神の会衆」でありたい。「教会のインフラ」は、「固い神信仰」にあるのである。
2−2 江戸から明治時代のめぐみの丘とわたしたちの教会
わたしたちの教会・大森めぐみ教会では、2002年に教会の建築に関する「将来構想基金」の委員会を立ち上げた。
戦前に初代牧師が、祈りと想いをひとつとする信仰の諸先達の協力を得て現在の教会の敷地の2000坪をを購入した。江戸時代・天保5年の「本門寺」の絵画の一部や明示20年の「池上温泉場曙路楼の図」や、昭和53年の「赤煉瓦の門」などにその史的形姿を伝えている。いずれも「よみがえる大田区の風景」大田区立郷土博物館 1999年)に収録されている。この史蹟の中に、わたしたちの教会は立てられた、と言える。
1945年東京大空襲で首都東京は廃墟と化し、5ヶ月後の広島と長崎への原爆投下の結果第二次世界大戦は事実上終焉した。この年以降、教会境内には、牧師と教会員の数家族も敷地内に点在する家屋に「焼け出されて」定住した。
途上国のインフラ整備のために日本が経済的援助をしている、等としばしば報道されるので、大部分の日本人は、このカタカナの略字表現を知っている。いわゆる、「下部構造」を意味する英語のインフラストラクチャー(infrastructure)のことである。一般には、近・現代人の生活に必需の道路・鉄道・港湾・ダムなど産業基盤の社会資本のことを総括して表現してきた。しか近年は、学校・病院・公園・社会福祉施設などの生活関連の社会資本も含めて用いられている。インフラが整備されていないと文化と歴史は継承されない。自然の風雪に耐えず、土地にも建造物も、風化と崩壊現象をきたす。地中海世界の石の建造物ですらそうであるが、わが国の木造建造物は、火災にも弱い。
戦後63年が経過した。この間、教会堂や幼稚園舍は新築・増設された。しかし、上下水、電気、ガス、道路など、いわゆるインフラ整備は手つかずのままであった。江戸時代から、明治・大正・昭和・平成を貫いて、自然のままに、指導や電気やガス管が張り巡らされた。施行した業者も設計図ものこさずにきた。敷地内通路は、自然のままか、その上にコンクリートが流された状態であった。それでも大きな事故はなく推移した。感謝である。
この度の80周年記念の第一期の教育会館新築工事は、土地の浸食をくい止め、堅固な擁壁の構築と何百年と持つ風雪に堪える建造物の建設である。インフラ整備である、とも言える。キュービクル(変電設備)の搬入が東京電力と工事関係者によって実施された1月22日午前11時にそのような想いを抱いた。「教会の、信仰の、宣教のインフラ」は何か、について考えたい。

教育会館奉献式
2008.04.06
2−3 教会と教会建造物のインフラとは何か
抜本的視座からする教会の拠点づくりを日本の諸教会は今日求められている。プロテスタント宣教150年と言われながら、「日本の教会の基盤」は、信仰も神学思想も含めて、極めて脆弱である。
幸い、わが国を代表する建築家・阪田誠造先生が、めぐみの丘のグランドでザインを描いて下さり、奉仕的に指導管理に当たられている。感謝のほかない。第一期は礼拝堂建築の準備に相当する建造物である、と言える。
教会(エクレーシア)は、神礼拝のために、神から呼び集められた者によって形成されている。教会とは、「神の会衆」[カーハール(会衆)・ヤハウエ(神)]なのである。初期キリスト教会を形成したキリスト者たちは、その自覚のもとに、宣教(伝道)の歩みを開始したのである。大森めぐみ教会も、まず「神の会衆」でありたい。「教会のインフラ」は、「固い神信仰」にあるのである。
第一工事完成祝賀会(めぐみホール)
2−4 教会と自然環境
わたしたちの教会・大森めぐみ教会が、大田区の名所のひとつとなるであろう、と言われ、また、紹介されるようになった理由は、日本の首都東京に僅かに残る景勝の地に、著名な建築家の阪田誠造先生のグランドデザインに基づく工事が開始されたからである。
まず第一期工事として、高低差18メートルの傾斜地を、絶妙なアイディアと他に類を見ない優れた大胆な発想に基づく「擁壁を兼ねた堅牢な教育会館」がまず構築された。
江戸時代から眺望絶佳の土地であり,明治・大正・昭和初期に栄えた東京湾(江戸湾)と東海道を一望に収める「めぐみの丘」は今なお健在である。明治時代の東京駅に使用された赤煉瓦と同じ時期の同じ製造に由来するといわれる赤煉瓦が出土し、そのイメージを残す赤煉瓦の正門が造られた。次いで「六角堂」の壁面とパーゴラも赤煉瓦でデザインされた。その復元とも言える。建設途中に専門家が取材に来た。近く地元のマスメディアも取材を申し出ている。完成後にお出かけ下さい、と答えた。昨年は未完成の正門の一部を撮影した東京都関係の外郭団体のホームページ「東京の坂のある風景」に、心安らぐ優しい坂道」と写真と共に紹介された。
坂田先生の建築哲学の一端をめぐみ幼稚園父母の会でお聞きした。めぐみの丘の光と風と緑を大事にし、自然と調和した教育会館を第一期工事として具体化すると語られた。礼拝堂に溢れるほどの聴衆であった。二年前の父母の会の教育講演会の時であった。建築関係者も大勢来ておられたと、後で知らされた。園児の父母に混じって聴講されていたのである。
ところで30年ほど前、キリスト教の神学思想や聖書思想それ自体の内に環境破壊や生態的危機をもたらす要因があるとの手厳しい批判を仏教系の学者や多神教の宗教指導者たちから受けた。その代表的人物が日本の仏教学者で禅の研究者である鈴木大拙氏である。それに対する反論がキリスト教思想家や聖書学者からなされた。その反論の不十分さを私は指摘した。旧約聖書の天地創造と人間の創造物語中の自然管理の神の委託を旧約聖書の釈義を中心に反論しているゆえ、私は新約聖書に示されているイエスの精神と自然理解から論じる必要性を指摘した(拙著『ヨハネ福音書のこころと思想』第1巻29-34頁参照)。めぐみの丘の主任牧師として着任したちょうど一ヶ月後の2000年5月7日の礼拝説教においてであった。
めぐみの丘の自然と調和した教会を建立する責任と意味がわたしたちにはあるのである。